日本の玉葱(たまねぎ)のル-ツ

 現在、皆さんが食べている玉葱料理。

どうやって、泉州にはいってきたのでしょうか?昭和30年代後半から昭和40年代

前半には、南海電車や、阪和線の車中からよく玉葱小屋が見えました。

 現在では、石津の風車と同様にほとんど見えません。


   泉州のたまねぎは、4ヶ所くらいで、自分の所が発祥の地だとおっしゃておられます。

しかし、その4ケ所の元は、神戸にあるようです。

 明治の文明開化の時代になって、神戸の居留地に住んでいた外国人のところで、

ごちそうになった泉州人が、その苗を「と言っても玉葱じたいが種ですが、」「また、

葱坊主で種がとれますが、」とにかく泉州に持ち帰って栽培したのが最初だとおもわれます。


 泉州の玉葱は、その学名を、「貝塚中高黄」(かいずかちゅうこうき)といいます。

通称は、「貝塚早生」(かいずかわせ)と言います。ひらたくて、みずみずしくて、甘くて、油が

少なくて目を刺激しません。

 現在の玉葱は、泉州の原種を改良して、硬くてソフトボ-ルのように、丸くて、皮が多くて

からい品種になったのです。


   日本では、現在、北海道が大生産地になっています。あの有名なクラ-ク博士の札幌農学校

で、玉葱が栽培され広がったものと思われます。

 

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